私のバイク歴


免許取得と時代背景

  高校1年の時に学校の許可を得て、自動2輪大型免許を取得しました。この年は暴走族の暴動や、2輪事故の多発化により道交法の改正が目立った年でした。オートバイに興味を持った時期ははっきりしません。小学校5,6年の時に捨ててあったバイク125CC2サイクルの単気筒のエンジンを外し、一輪車に積んで家まで運び、バラバラに分解したのを覚えています。時計でも、オルゴールでも中はどうなっているんだろうという興味は人一倍強く、家にあるものは何でもバラバラにしたものだから、しまいには祖父より厳しく怒られました。それでも懲りず繰り返したものだから、家族は大いに悩んだと思います。裕福ではない山村で育った子供たちは、小学5年にもなれば、耕耘機にトレーラーをつけて運転するのが当たり前でした。


 高校はほとんど汽車通学でしたが、国鉄がストライキになり、自転車での通学が何度かありました。自宅から会津坂下町まで12km、会津坂下町から会津若松まで12kmと言われておりましたが、朝6:30過ぎに出発して飛ばして走れば十分に間にあう距離でした。途中に塩峯峠と鐘突堂峠の2つの峠があり、特に鐘突堂峠はカーブが多く、自転車をこいで走るとゆっくりでイライラするので、自転車を肩に背負い近道を登るほうが早かったので、いつもかついでいました。チェーンがワイシャツにくっつき、汚くなりましたがあまり気にしてもいられませんでした。坂下を出ると宮古橋がありましたが、幅が狭くいつもトラックに巻き込まれそうになりました。学校までの通学は良いのですが、帰りは坂下町から鐘突堂峠までは単調な登り道で、長い上り坂のため気が滅入りそうになりました。何度もバイクに追い越されたとき、とても悔しい思いをしました。バイクに乗れればもっと楽なのに・・・・・これがきっかけの1つだと思います。もう一つは、田舎でしたので、耕耘機は小学生でも高学年になれば、トレーラーをつけて運転するのが当たり前でした。「農家の長男なので・・・・・」と言う理由で、高郷中を降りた我が家の水田(平成2,3年に、遊び癖の父の借金のため手放した)で暗くなってもライトをつけて、バインダー(2条刈り)で稲刈りをしたのを覚えています。そんなことで、高校に入っても農業を手伝うことがあるため、自動二輪の免許が必要に思ったことです。


 オートバイの魅力は、自動車と違って、エンジンが、車体のデザインになっていることです。エンジンに人間の英知と魂が吹き込まれ、デザイン全体を支配しいていることです。一つの神秘性を感じることがあり、心の中から熱いものがこみ上げてきます。これはオートバイしかありませんでした。

昭和50年7月1日
    
自動二輪にヘルメット着用義務(原付は除く)

昭和50年10月1日
自動2輪大型、小型の他に251cc以上から400ccまでに中型を設置。大型二輪教習は多くの教習所で廃止になった。

★車歴

CB250T、CB750K1、GS750E、DX250、バンバン90、XL125、TLR200SEROW225、TZR250、TT225、CB50、CB750K2VF1000R

CB750K1。盛岡市のクボトラにて購入しました。写真は昭和53年8月11日帯広で行われた馬術の大会の帰り、十和田湖の八荷峠で獣医科4年生先輩の関さんに撮っていただいたものです。その後関さんの実家である安代町に向かいました。上に着ているのは高校時代のボート部のユニフォーム。
 実はこのあと会津に帰る際に、宮城県大河原町の「八千代スズキ」の店につっこむ事故を起こすことになる。どういう運命か最初の職場も大河原町。親戚も大河原町と関係を深めていく。
大学の寮の先輩たちとツーリング。右から、GT750(金沢さん)、GX400(内山武君)、私のCB、GS400(石川さん)、GL400(大内さん)、CB550(鈴木さん)。昭和53年10月1日撮影。盛岡→宮古→釜石→盛岡のコー
ス(間違いなければ)。
金沢さんはGT750の前はRS750を乗って
いました。
 20才の時、ソロツーリングて野宿した三沢駅。この後、恐山や大館を回って、日本海周りで会津に帰りました。会津に帰ると山の下刈りの仕事が待っていました。いつも実家に帰っても、ほとんど遊ぶヒマはありませんでした。写真の右側に、愛車が小さく。おそらく駅舎は新しくなっているはずです。
 GS750E。仙台市交通局お勤めの遠藤さんより購入しました。GSは細部にわたって作りが良く、2サイクルから4サイクルに転身したスズキの意欲作であることが十分に伝わるオートバイでした。これをコンチハンにし、BMWタイプのビキニカウルをつけました。残念ながら改造後写真にとった記憶ありません。昭和60年にトレールショップタケダに売却しました。

★ここから下、社会人となって購入したものです。

TLR200SEROW225TT225CB750K2VF1000Rの5台は現在も所有中です。

TLR200は昭和58年に村田町トレールショップタケダより購入しました。なんと大河原につとめた際の通り道の店です。私にとって初めての新車です。チーム「風林火山」のみなさんと朝5時よりトライアルの練習に参加したことがありました。途中、登山好きにの同級生青山一郎君やいとこに貸していたことがあり何度か手を放れることがありました。写真は実家の小屋で。後ろはCB。
1986年型。セローはマイナーチェンジを重ねるが、私はこの形が一番気に入っています。但し、パーツ1つ1つが吟味されておらず、錆びやすい部品がありました。特にスイングアームは錆が目立った。(写真は1987年、登米郡東和町綱木付近の林道)
 1985年型のVF1000R。2型である。250kgの車体に122psのパワーを持つ。独特のサウンドと加速の強烈さは忘れられない。カムギヤートレーンでカムを回転させる。(写真は大熊町)この車は大熊町熊町の太田真さん→志賀幸夫さん→須藤と引き継がれる。
このCBは私にとって二台目。大熊町の太田伸さんより購入。大学当時はK1を乗っていた。やはりCBが好きなかも。このCBを入手当時は、前の所有者がカスタムペイントしたため、平成2年に職場の水理実験室でできるだけノーマルの状態に直した。本来タンクのラインはテープであるが、私はマスキングして金色のスプレーを塗布し、最後にクリアのウレタン塗料を塗った。(写真は大熊町)
マフラーはMH300である。
高郷の実家の小屋に保管しているバイクたち。CB750fourK2,TLR200,TT225,シートをかぶったのがVF1000R。
長男が平成6年に胆道閉鎖症で肝移植になるなど、子供の病気のために奔走する。そのため福島市においていたバイクを次々と高郷の実家に移動した。
一番手軽なセローだけは乗れる状態にしていた。CBは20年以上動かずにいた。
CB750fourK2は一番奥。
TT225はステアリングのベアリングのガタつきがあるのみで、今のところ異常は無い。セローとは共通点が多く、楽しみである。羊の皮をかぶったオオカミになれるかも・・・・・・。
TT225。エンデューロマシンとしてキーは無くクロスミッション。245CCにボアアップしサスペンションもストロークが大きく、シートもセローに比べ高めである。いつか実家の山を走りたいと思っています。
VF1000R。重いバイクだが、走り出すと操作性は軽い。ホンダのフラグシップマシンであった。非常にパワフルで122PSは十分すぎる。近いうちに、車検をとりたい。1985年型であるがカムギヤートレーンなど今に劣らない性能を持つ。燃費は14〜16km/l程度。はっきりいって燃費は良くない。悪い。
今一番欲しいバイクはこれ。ハーレーダビットソン XLCR1000。ハーレーのカフェレーサータイプであり、生産台数が少ない。20才の頃にあこがれた。
近々キャンプツーリングをするため、格安でツーリングテントSTを購入した。これにアマチュア無線の移動運用を加え、遊びの幅を広げている。

 ◎宮城県で在職中、柴田郡村田町沼辺の「トレールショップタケダ」の武田俊秀さん、佐藤幸夫さん、それからチーム「風林火山」の皆様には大変お世話になりました。写真は南蔵王YHにて 左から2人目が武田さん、3人目が私です。(昭和63年)





★ 不思議なお話   宮城県との縁深い関係

 高校までは全くといって宮城県とは関わりのない生活をおくっていました。小学校の時、アマチュア無線の試験は仙台ときき、自転車では行けないと思い諦めたことがあります。
昭和53年大学1年の夏休み、盛岡からCB750に乗って、会津に帰省する際に、居眠り運転をして大河原町の旧4号線八千代スズキというお店につっこんでしまい、幸いけがは無かったもののCBのポイントがグヂャグヂャになってしまいました。またお店の車のドアを壊し7万円の請求がありました。これ以来大学1年、2年と宮城県、特に大河原町を通るたびに「いやなところだな」といつも思っていました。でもこれが「宮城県」との縁の始まりだったようです。

第1話・・・就職先と重なる
大学卒業、就職先は宮城県。それも職場はなんと事故を起こした大河原町。生活根拠地は村田町。大変複雑な心境でした。しかし私はすぐに地元の人とうち解けてしまいます。この地で「トレールショップタケダ」の武田俊秀さん、佐藤幸夫さんに出会うのですが、私の住む近所のリンゴの果樹農家大沼のぼるさん(お父さんの博さんは戦艦武蔵の乗り組み員で、マラソンで有名)も良くお店に出入りしていました。大沼さんから「ここの酒でうまいよ」とすすめられ宮城県で初めて飲んだ酒が、村田町の乾坤一(けんこんにち)という酒。

第2話・・・従姉妹の結婚相手
従姉妹が大河原町の駅前のお茶屋さん「会津屋」のご子息(橋侃さんの次男)と結婚。H16年秋に高郷村でお婿さんと会うことができました。たぶん先方のほうが、高郷の人で、大河原町を知っていることに驚いたのに違いありません。平成19年におじゃましました。

第3話・・・酒
 10月に郡山で泉屋酒販店主催の「造り酒屋の酒を飲む会(こんな感じの会合)」に招待されました。山形の出羽桜、十四代、宮城の浦霞など有名な造り酒屋が集まり、今年の酒の出来前を披露する飲み会です。会場にはかかりつけの歯科医や息子のクラス担任の先生など予想もしていない方々と出会うこことができました。抽選会があり当選してしまいました。それも何と乾坤一の前掛。縁があるなあとつくづく思いました。

抽選で当選した前掛


★便利な測定器  マルチタイミングライト、これでタイミングライト、タコテスタ、ドエルテスタとして使える(日立製)。
ポイントのバイクの整備には欠かせません。




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