長男が胆道閉鎖症と診断

  長男は平成6年6月に会津の病院で生まれましたが、9月末に公民館で予防接種検診を受けたところ、黄疸が強くでていると指摘され、翌日福島市の日赤病院で診察を受けました。検査により、血中ビリルビンが10ポイント(正常値は1ポイント以下)で、胆道閉鎖症の疑いがあるため、県立医大に転院するように勧められました。早速入院し、検査の結果、胆道閉鎖症と判定され、同年11月に葛西式手術を受けましたが、胆汁は排出されず葛西手術の成果は得られませんでした。

肝移植への道

 病院側の説明では、このまま何もしなければ、2才ごろまでに死亡するか、それをさけるためには肝臓の移植しかないということでした。移植には脳死の肝移植と生体肝移植があり、日本ではこの当時脳死の移植は国の法律の関係でできませんでした。病院で知り合った患者のお母さんから、平成5年に尚志高校の広川陽子さんのオーストラリアでの脳死の肝臓移植の新聞記事(連載)のコピーを見せてもらい、私たち夫婦は移植しかないと考えるに至りました。ただし県立医大ではまだ生体肝移植は実例がなく、倫理委員会の関係で長男は手術はできないということでした。同時に県立医大小児外科主任の医師金沢Drから「胆道閉鎖症の子供を守る会」について知らされており、会に連絡をとることにしました。その結果、我が国で最も実績があるのが京都大学であることから、長男の生体肝移植は京都大学にお願いすることに決め、県立医大の協力を得ながら準備を進めました。途中長男は、静脈瘤破裂による下血などがありましたが、深刻な問題が発生しました。

脂肪肝との戦い・・・それはダイエット

 それは誰がドナーになるかであり、長男の血液型はO型、血液型が会う私は脂肪肝、妻も脂肪肝であり、脂肪肝は移植できないとのことでした。摘出したドナーの肝臓は、冷却した生理水(?)で血管を洗浄したりレシピエントに移植まで冷却して保管するため、おそらく脂肪肝だと、脂肪が豚肉のラードのように固まってしまい、肝細胞や組織に悪影響があるからだと思います。
 そこで、子供の命を救うにはダイエットしかないということで、私のダイエット生活が始まりました。はじめの私の体重は79kg。それがダイエットによりどんどん体重が減少していきました。 下の表は、病院や職場で測定した結果です。
    

月日 1/24 2/8 2/13 2/24 3/10 4/4 4/24 5/15 6/14
体重[kg] 76 74 72 71 70 68 66 65 62

 ダイエットの方法はそう難しくありませんでしたが、根気と脱力感との戦いでした。この間、アルコール類はいっさい絶ちました。職場から帰ると一端食事を済ませた後、福島市南沢又道合のある自宅から、ウオーキングを欠かさずしました。刑務所通りを東に飯坂街道に入り、清水小学校をとおり笹谷のベニマル方面へ向かい、北沢又から刑務所のそばをとおり、自宅に戻るコースです。約4〜5kmはあるかと思います。
 食事は、2日に一度、炊飯器にご飯を2合炊きます。炊きあがったら炊飯器のふたを開け、しゃもじでビザを切るように3回、切り込みを入れ全体で6ピースにします。1ピースが1食分とし朝昼晩と2日間分となります。つまり1日で丁度1合の摂取量です。おかずは、スーパーで、マグロの血合を1パック購入します。パックは25cm程度の中にぎっしり入っており、一端ショウガ、ニンニクをおろした醤油に30分程度つけ込み、適当に切った後(20〜30個)、魚焼きで焼きます。そして、一端冷やした後、ラップでくるんで冷凍し食べるときにレンジで暖めます。野菜はほうれん草や小松菜、春菊で主におひたしです。じつはこのおかずを毎日繰り返しました。つまり、3ヶ月間全く同じおかずでした。決して体に良いわけではありませんでしたが、いろいろ考えるのもめんどくさかったかもしれません。
 実際、体重の減少と共に、肝機能は見る見るうちに良くなっていきました。二月には家内と長男はすでに京都の北白川のバプペスト病院を移植の待機病院として入院しており、私も外来として検査を受けていました。肝機能が改善してゆくうちに、エコーでもブライトリバーは消えていきました。そうして6月23日に長男が1才になったときに移植をすることができました。長男を執刀は田中Drでした(平成7年)。移植後、ドナーを執刀した猪飼Drより、「お父さんの肝臓は鈍でした。」つまり移植した肝臓の先端はもともと脂肪肝であったためその先端がとがっておらず、丸みを帯びていたということでした。
 移植後は免疫抑制剤としてプログラフのほか、感染予防や利尿剤等たくさんの薬を飲まなければなりませんでした。カプセルに溶かし、注射器で吸い込んで飲ませました。
 平成7年7月に退院できました。


胆道閉鎖症の子供を守る会

10,000人に1人の割合なので毎年福島県内でも1年間に3〜6人はBAの子供が生まれるといわれます。このページの下にBAのパンフレットを掲載しました。
便の色など参考にしていただければと思います。


平成17年10月1日(土) BA(胆道閉鎖症の子供を守る会)宮城支部会が仙台医療センターで開催されました。
東北大学医学部付属病院 千葉庸夫 先生、前京都大学医学部付属病院長 田中紘一先生をお招きし、講演、座談会を実施しました。
概要は以下の通りです。


BAの子供を守る会宮城支部会(東北ブロック会)が10月1日(土)仙台医療センター(旧国立仙台病院)で開催されました。講師として例年千葉庸夫先生(東北大学医学部付属病院)をお招きしておりましたが、今回は元京都大学医学部付属病院長田中紘一先生もお招きいたしました。会員は(  )家族(   )名の参加で盛大に行われました。田中先生は周知の通り、生体肝移植の一任者として長年不眠不休の努力を重ねられ、我が国にその道筋を築いてこられました。また、国内で最大の移植実績をお持ちであり、最も有名な外科医であります。このたび、移植した子供たちや家族に是非会いたいというご懇意から、年に2日程度しか時間がないという非常に忙しいスケジュールの中、臨席いただきました。ここで、今回の支部会の概要について紹介したいと思います。


 はじめに千葉先生から、肝臓の機能、食事、服用する薬の効用について大変わかりやすく説明していただきました。特に多くの漢方薬が紹介され、その効果と過剰に摂取した祭の危険性など教えていただきました。また、最近多く市場に出回っているサプリメントの効果についてもふれました。


 田中先生からは移植について、特に今まで先生の取り組まれてきた経緯と今後の移植医療についてお話しされました。先生は今年京都大学を定年退官し、現在神戸市の先端医療センター長としてご勤務のほか、中近東、アジアの移植医療をサポートする活動をされています。現在世界で最も移植で困っている国はイスラム国家であり、エジプトのように全く脳死からの移植を認めていない国があるそうです。今まで日本は海外から多くの恩恵を受けてきましたが、今度はお返しに海外で活動すること、それが毎日の日常生活だそうです。


 また、かつて先生は外国人の医師に、患者や家族のプライバシーもない日本の病院施設の貧弱さを指摘されたことがあり、是非取り組みたいことは移植医療の施設づくりだそうです。気楽に移植できるために、ファミリーハウスやマクドナルハウスのように患者の家族のための街づくりをし、移植を受けた方々が元気で普通に生活していることを社会に示したい。かつて社会から厳しい目で見られていた移植なので、是非とも実現させ社会に示してゆきたい。そして若い人材を集め、医療産業都市を目指してゆくという大きな構想を目指しています。


 お話の中で感銘を受けたことは、「移植で成功した子供たちは残念ですがあまり覚えていない。しかし移植で亡くなった子供たちは忘れることができない。」常に患者とともに歩んでこられた先生の奥に籠められた苦悩を感じることができました。当時は暗闇の中を懐中電灯で照らしながらさまよい歩くと、「拒絶反応」「胆管炎」と書かれた文字が飛び出してくる夢にうなされたそうです。
 昼食の後、和やかな雰囲気の中、参加した家族の方々から質疑応答が活発に交わされました。生体肝移植が盛んになり始めてから10年を越え、子供たちも大きく成長した(中には成人した)ことが反映してか、子供が酒やたばこと関わり合うことについての質問が何件かありました。
 最後に今回ご臨席賜りましたお二方の先生方、それから支部を運営いただきました事務局の皆様に心より御礼申し上げます。


田中先生、長男謙太郎、家内
後ろ右の女性は宮城支部事務局の菅井さん


inserted by FC2 system